Column
2026/10/06
法務部マネジメント「ノーと言わない法務」とは、リスクを理由に案件を止めるのではなく、許容・低減・回避の判断基準を持って事業を前に進める法務のことです。本記事では、判断基準の作り方、リスクを取らないことのリスク、そして組織に定着させる仕組みまでを具体的に示します。
法務部門に寄せられる相談の多くは、「この取引を進めてよいか」「この表現で問題ないか」という問いの形をとります。こうした問いに対して、法的なリスクを列挙したうえで「現時点では推奨できません」と回答するのは、法務担当者にとって最も安全な対応に見えます。しかし、その回答が積み重なると、事業部門からは「法務に相談すると止められる」「相談は最後の最後でよい」と受け止められるようになり、結果として法務が関与するタイミングはどんどん遅くなっていきます。
経済産業省の研究会報告以降、法務機能は不正や紛争を防ぐ「守り」にとどまらず、事業の創出や成長を後押しする「攻め」の役割も担うべきだという考え方が広く共有されるようになりました。ここで言う「ノーと言わない法務」とは、何でも承認する法務という意味ではありません。リスクの存在を正確に把握したうえで、「どうすれば実行できるか」を一緒に考え、判断の材料と選択肢を示す法務のことです。
法務が「ノー」に傾きやすいのは、担当者個人の性格の問題ではなく、構造的な理由があります。
これらはいずれも、判断基準と業務の仕組みを整えることで改善できるものです。
リスク判断を担当者の感覚に委ねないためには、まずリスクへの対応方針を類型化することが有効です。一般的なリスクマネジメントの考え方に沿って、法務の実務では次の3つに整理すると運用しやすくなります。
発生可能性が低い、または発生しても影響が限定的で、事業上のメリットが明らかに上回るリスクは、認識したうえで受け入れます。重要なのは、「リスクがない」と言うのではなく「リスクを認識したうえで許容した」ことを記録に残す点です。誰が、どのような情報をもとに判断したかを残しておけば、後に問題が生じた場合でも判断過程を説明できます。
リスクの発生可能性や影響の大きさを、契約条項や業務フローの工夫で下げる対応です。たとえば、責任上限の設定、表明保証の範囲調整、段階的な実施(パイロット導入)、利用規約の文言修正、社内の承認プロセスの追加などが該当します。法務の付加価値が最も発揮されるのはこの領域であり、「このままでは難しいが、この条件を加えれば進められる」という回答の大部分はここから生まれます。
法令違反に直結するもの、刑事責任や行政処分の可能性が高いもの、会社の信用を大きく損なうおそれがあるものは、回避を選択します。ただし、回避は「案件そのものをやめる」ことだけを意味しません。目的は維持しつつ、違法・高リスクな手段だけを別の手段に置き換えることも回避の一形態です。
3類型のどれに当てはめるかを判断するために、次のような観点をあらかじめ定めておくとよいでしょう。
特に「可逆性」は見落とされやすい観点です。後から修正できる施策であれば、小さく始めて状況を見ながら調整する選択肢がとりやすくなります。
判断基準の策定や、法務部の審査プロセスそのものを見直したい場合は、法務部コンサルティングの詳細はこちらもあわせてご覧ください。
法務の検討では、ある行為を「実施した場合のリスク」が中心になりがちです。しかし、経営判断として本来比較すべきなのは、実施した場合のリスクと、実施しなかった場合のリスクの両方です。
最後の点は特に深刻です。法務が「ノー」を繰り返す結果、事業部門が相談せずに案件を進めるようになれば、組織全体として見たリスクはむしろ高まります。法務の慎重さが、かえってガバナンスを弱める逆説が生じるのです。
法務の回答では、リスクの指摘に加えて、「この案件を見送った場合に何が起こるか」も事業部門と共有することが望まれます。法務単独でその損失を評価する必要はありません。事業部門から機会の大きさを聞き取り、法的リスクと並べて提示することで、意思決定者は両者を比較したうえで判断できるようになります。最終的な判断は事業責任者や経営陣が行うものであり、法務の役割はその判断に必要な情報を過不足なく揃えることにあります。
判断基準を持っていても、回答の伝え方が変わらなければ、事業部門の受け止め方は変わりません。ここでは、実務で使える回答の型を紹介します。
結論を冒頭に置き、「条件付きで可」という選択肢を積極的に使うことがポイントです。「可」か「不可」の二択で回答しようとすると、どうしても「不可」に寄りやすくなります。
代替案を検討する際には、次のような問いを立てると選択肢が広がります。
法的な不確実性が大きい論点では、「確定的な回答ができない」こと自体を正直に伝える必要があります。そのうえで、現時点で考えられるシナリオと、それぞれの場合の対応を示しておけば、事業部門は判断を先送りせずに済みます。こうした業務を限られた人員で回すのが難しい場合は、定型的な契約審査を外部に任せ、社内の法務担当者が判断業務に集中する体制も考えられます。法務アウトソーシングについてはこちらで、委託できる業務の範囲をご確認いただけます。
「ノーと言わない法務」を一部の担当者の姿勢にとどめず、組織の文化として根付かせるには、仕組みとしての整備が欠かせません。
前述の3類型と判断観点を、法務部内のガイドラインとして文書化します。あわせて、典型的な相談類型ごとに「原則として許容」「条件付きで許容」「原則として回避」の例を示しておくと、担当者間のばらつきが小さくなります。事業部門にも概要を共有すれば、相談前に論点を整理してもらいやすくなります。
リスクを許容した案件について、判断の理由と判断者を記録します。記録が蓄積されると、類似案件での判断が速くなるだけでなく、判断が適切だったかを事後に振り返ることもできます。許容した結果として問題が生じなかった事例は、過度な慎重さを見直す根拠にもなります。
法務担当者が「ノー」に傾く背景には、リスクを許容した責任を一人で負わされるのではないかという不安があります。どの水準のリスクを誰が許容できるのかを、決裁権限と結び付けて定めておくことで、担当者は安心して「条件付きで可」と回答できるようになります。
法務部の評価指標が「トラブルが起きなかったこと」だけであれば、慎重な回答が合理的な選択になってしまいます。案件の実現への貢献、代替案の提示件数、事業部門からの評価など、事業への貢献を測る指標も組み合わせることが望まれます。
判断の質を高めるには、事業理解とリスク感覚を兼ね備えた人材の確保も重要です。経験豊富な法務人材を必要な期間だけ迎え入れる方法もあります。法務人材コネクトの詳細はこちらをご参照ください。
「ノーと言わない法務」は、リスクを軽視する法務ではなく、リスクを正確に評価し、事業を前に進める選択肢を示す法務です。本記事のポイントを整理します。
法務がこうした姿勢を持つことで、事業部門は早い段階から相談するようになり、結果として組織全体のリスク管理の水準も高まります。まずは、直近の相談案件を3類型に当てはめて振り返るところから始めてみてはいかがでしょうか。
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