2026/01/16
法務人材採用「求人を出しても応募が来ない」「最終面接まで進んだが、競合他社や法律事務所に競り負けてしまった」「弁護士資格者を採用したが、現場とうまく馴染めずに辞めてしまった」
これらは今、多くの日本企業の人事担当者や経営者から聞かれる切実な悩みです。かつて法務部門といえば、安定した管理部門の一つとして採用も比較的落ち着いていた時代がありました。しかし現在、法務人材の採用市場は「超」がつくほどの売り手市場と化しており、優秀な人材の獲得競争は激化の一途をたどっています。
なぜ今、これほどまでに法務人材の採用が難しいのでしょうか。その背景には、単なる人手不足という言葉では片付けられない、日本企業特有の「3つの構造的な壁」が存在します。
第一の壁:爆発する需要と、追いつかない供給
まず直視すべきは、圧倒的な需給ギャップです。この数年で企業法務を取り巻く環境は激変しました。
コーポレートガバナンス・コードの改定、コンプライアンス意識の社会的な高まり、そしてビジネスのグローバル化やM&Aの日常化。これらにより、企業における法務部門は、単なる「契約書のチェック係」から、経営判断を支える「戦略的パートナー」へと役割を変質させています。スタートアップから大企業まで、あらゆるフェーズの企業が同時に法務機能の強化に走り出した結果、市場にいる経験者の奪い合いが起きているのです。
一方で、供給側はどうでしょうか。弁護士の数自体は増えていますが、企業内弁護士(インハウスローヤー)として即戦力となる人材、あるいは法科大学院出身で企業法務の経験を積んだミドル層は、市場にほとんど出てきません。優秀な法務人材ほど、現職の企業内でその希少性ゆえに重宝されており、転職を考える必要がないからです。転職市場に出てくる前に、リファラル(知人の紹介)だけで次のキャリアが決まってしまう「見えない市場」で動いているのも、この職種の特徴です。
第二の壁:「ユニコーン」を探し求めるスキル要件のミスマッチ
二つ目の壁は、企業側が描く「理想の法務像」と、現実の候補者が持つスキルの乖離です。多くの企業が求める要件を分解すると、次のようなスペックとなります。
・確かな法的知識(できれば弁護士資格)
・ビジネスを止めない、事業推進型のマインドセット
・英語での契約交渉が可能な語学力
・ITや最新テックへの理解
これら全てを兼ね備えた人材は、採用市場において「ユニコーン(幻の存在)」に近いと言っても過言ではありません。
特に深刻なのが「ビジネス感覚」のミスマッチです。企業は「事業を前に進めるための法的アドバイス(戦略法務)」を求めます。「法的にグレーだが、どうすればリスクを最小化して実現できるか」という解を求めているのです。
しかし、法律事務所出身者や伝統的な法務パーソンの中には、リスクを指摘してストップをかける「臨床法務・予防法務」の思考法が染み付いているケースが少なくありません。この「アクセルを踏んでほしい企業」と「ブレーキを踏むプロ」の意識のズレが、面接での不採用や、入社後の不幸なミスマッチを生んでいます。
さらに「英語力×日本法」の壁も厚く立ちはだかります。英文契約書を辞書を引きながら「読める」人はいても、英語でビジネスの文脈を理解し、相手方と対等に「交渉できる」レベルの法務人材は極めて稀有です。外資系企業も交えた争奪戦の中で、日本企業がこの層を獲得するのは至難の業となっています。
第三の壁:硬直的な賃金テーブルとキャリアパスの欠如
そして三つ目の壁が、待遇とキャリアの問題です。
率直に言って、優秀な弁護士資格保有者や高度な法務専門職の市場価値は、一般的な日本企業の賃金テーブルの枠を超えてしまっています。大手法律事務所のアソシエイトであれば、20代〜30代前半でも年収1,000万円〜1,500万円、あるいはそれ以上を得ることは珍しくありません。
対して、多くの日本企業では「30歳・係長クラス」の給与規定が適用され、年収600万〜800万円程度でのオファーにならざるを得ないケースが散見されます。「やりがい」や「ワークライフバランス」をアピールしても、数百万円単位の年収ダウンを受け入れられる候補者は限定的です。
また、「入社後の未来」が見えにくいという課題もあります。法務部長まで昇進した後、その先はあるのか。欧米企業ではCLO(最高法務責任者)やGeneral Counselが経営の中枢メンバーとして確立されていますが、日本企業ではまだ法務部門出身者が役員や経営トップに就くルートが一般的ではありません。「専門家として入社しても、あくまで管理部門の一部品として扱われるのではないか」という不安が、優秀層の足並みを鈍らせています。
加えて、リモートワークやフレックスといった働き方の柔軟性も、今や法務人材にとっては「あって当たり前」の条件です。紙文化やハンコ文化、出社義務が残る企業は、それだけで選択肢から外されてしまうのが現実です。
企業がとるべき「現実的な」打開策
これら3つの壁を前に、企業はどうすべきでしょうか。「いつか理想の人材が現れる」と信じて求人を出し続けるのは、もはや得策ではありません。現実的な打開策は、要件の「緩和」ではなく「再定義」にあります。
まず、「ポテンシャル採用への切り替え」です。法務経験が浅くても、事業部門での経験がありビジネス理解が深い人材を配置転換し、外部弁護士のサポートをつけて育てる。あるいは、弁護士資格はなくともパラリーガル経験者を登用する。完成品を採用しようとするのではなく、自社のカルチャーに合う人材を法務として育成する視点が必要です。
次に、「業務の切り出しとテック活用」です。契約書レビューなどの定型業務はリーガルテック(AI)や外部の専門ベンダー(LPO)に任せ、社内の少人数のコアメンバーは「事業部との折衝」や「戦略立案」に集中させる。これにより、ハイスペックな人材を何人も揃える必要性を下げるのです。業務の切り出しにあたっては、定型業務を業務委託(副業)の弁護士資格保有者の任せるということも実効的です。業務委託でのジョインであれば、高額な給料は求められないことが多く、弁護士資格保有者であっても柔軟な対応が可能なことが多いです。
そして最後に、どうしても高度な専門家が必要な場合は、「人事制度の見直し」に踏み込む覚悟が求められます。法務専門職としての別給与テーブルの設定や、CLOポジションの新設、法務人材の業務委託(副業)としての採用など、経営としての本気度を示すことが採用ブランディングになります。
「法務人材が採れない」という悲鳴は、裏を返せば「法務の重要性がかつてないほど高まっている」ことの証左でもあります。採用難を単なる人手不足と捉えず、自社の法務機能と組織のあり方を再設計する機会と捉えること。それこそが、この難局を乗り越える唯一の道ではないでしょうか。